› 又吉内科クリニック BLOG › 手指外傷
手指外傷
今から27年前、私が医者になってまだ新米の頃、橋のかかる前の古宇利島の診療所で2年間勤務しました。島の産業は半農半漁。農業の主はサトウキビと紅芋です。例年1月〜3月は外傷の患者さんが多くなります。サトウキビの収穫で、鎌による手指の外傷が増えるのです。
2月のある日の夕方。オバアが血で染まったタオルで左手をぐるぐる巻きにして、診療所を受診しました。
「先生ごめんねー。鎌で手をやってしまったサー。診てもらえるかネー?」
小さな島では医者は私一人。内科医でも外傷も診ないといけません。診療所のベットにオバアを寝かせ、無影灯を点けて傷口の洗浄から始めます。傷は鋭利に開いて深いのですが、幸いにも動脈など大きな血管の障害はなさそうです。しかし、詳しく診てみると腱(筋肉が骨に付着するところ)が切れているのが分かりました。
「おばあちゃん、左手の親指を動かしてみて」
するとオバアは「こんなネー」と動かそうとしますが、親指は外側には動きません。腱断裂です。腱を縫うのは整形外科での手術が必要となります。そのことをオバアに説明し、県立北部病院での手術を勧めましたが、オバアは「年だから、先生もういいよ。親指は動かなくてもいいから、皮膚だけ縫ってー」と受け入れてくれません。手術を受けないと親指の動きが治らないこと、数日中であれば手術が受けられることを説明しましたが、結局納得させることはできませんでした。
数カ月後、診療所にひょっこりオバアが現れました。
「先生、傷はこんなにきれいになったヨー。親指はちゃんと動かないけど私のせいだから、二人の秘密にしておこうネ。あの後3日間、毎日説得しに家まで来てくれてありがとうねー」と両眼でウインクされました。
医者の「患者のため」が最善の医療とは限らないということを、あの時オバアから教わりました。
(琉球新報 うない「Dr又吉のユンタク半分医者半分」 2020. 5-6掲載)
2月のある日の夕方。オバアが血で染まったタオルで左手をぐるぐる巻きにして、診療所を受診しました。
「先生ごめんねー。鎌で手をやってしまったサー。診てもらえるかネー?」
小さな島では医者は私一人。内科医でも外傷も診ないといけません。診療所のベットにオバアを寝かせ、無影灯を点けて傷口の洗浄から始めます。傷は鋭利に開いて深いのですが、幸いにも動脈など大きな血管の障害はなさそうです。しかし、詳しく診てみると腱(筋肉が骨に付着するところ)が切れているのが分かりました。
「おばあちゃん、左手の親指を動かしてみて」
するとオバアは「こんなネー」と動かそうとしますが、親指は外側には動きません。腱断裂です。腱を縫うのは整形外科での手術が必要となります。そのことをオバアに説明し、県立北部病院での手術を勧めましたが、オバアは「年だから、先生もういいよ。親指は動かなくてもいいから、皮膚だけ縫ってー」と受け入れてくれません。手術を受けないと親指の動きが治らないこと、数日中であれば手術が受けられることを説明しましたが、結局納得させることはできませんでした。
数カ月後、診療所にひょっこりオバアが現れました。
「先生、傷はこんなにきれいになったヨー。親指はちゃんと動かないけど私のせいだから、二人の秘密にしておこうネ。あの後3日間、毎日説得しに家まで来てくれてありがとうねー」と両眼でウインクされました。
医者の「患者のため」が最善の医療とは限らないということを、あの時オバアから教わりました。
(琉球新報 うない「Dr又吉のユンタク半分医者半分」 2020. 5-6掲載)
2020年05月20日 20:01
Posted by matayoshi
│Comments(0)
│Comments(0)