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てぃーだブログ › 又吉内科クリニック BLOG › 盛夏の島

盛夏の島

 2008年夏、古宇利大橋を渡った。2005年2月開通以来、本島北部の新しい観光スポットとなっている。エメラルドグリーンに輝く海原を一つの線になり進んでいく感覚には思わず声がでる。車内が大パノラマシアターとなる。古宇利島は、半径約1km浅いお椀をひっくり返したような小さな島。人類発症の伝説が残る神秘的な島でもある。
 架橋後、島の診療所から看板が外された。建物の中を伺ってみても時が止まっている。眼下に吸い込まれるような海を見ながら、診療所から医師住宅までの懐かしい帰路を辿ってみる。島はすべてを平等に迎え入れてくれて、あの頃と何ら変わらない。島の変化を期待していた私は、変わったのは自分だけだと気付かされた。13年前毎日この道を往復し、あるときは夜間急患の知らせに疾走したこともあった。医師になってまだ4年目、6年目の時を、この島で2年間暮らした。この島に、そしてこの島の人々に教えてもらったことがたくさんある。
                 ◆
 私が島に赴任してすぐの頃、県立北部病院から末期癌のおじーが帰島した。島で最後を迎えるのが、このおじーの願いだった。島は、まるで自分の子供をみる目で、優しくおじーを迎え入れた。私は、診察カバンを手に毎日往診した。しかし、本当は聴診器など不要で、人としておじーに接しただけである。おじーに触って話しかけ、そして、おじーのことをずっと愛してきた人からおじーの生涯を聞き共感した。いよいよ、おじーの呼吸がか細くなった夜、みんながおじーの家に集まった。その子供が親父を想い、孫が祖父を想う。玄孫は、正月かお盆かのように屋敷中を走り回っている。久しぶりに帰ってきた人々もおじーの周りに集い、そのうち酒が交わされる。逝った後も夜遅くまで続いた。なんて理想的な最期だと、心地よい酔いを感じながら思った。看取るということを医師としてではなく、人として学ばせてもらった。
                 ◆
 医師住宅にいつも採れた野菜をいっぱい持ってきてくれるおばーがいた。腰が直角に曲がったカメおばーである。重いスイカを持ってきてくれたこともあった。いつも「通りがかりだったからさー」が口癖であった。来たときは、玄関でお茶をのみ一休みしていく。

「おばーは、ついこのあいだまで女学生だったさー。まるで昨日のように覚えているさー。
ちょっと前まで15才だったけど、気づいたらもう90になっているさー。
先生たーも、気をつけたほうがいいよ。すぐ80、90になるからよー。
とう、みておきなさい。
80になったら、おばーが言っていたこと本当だねーって分かるはずよ。
やりたいことは、出来る時にやるんだよ。いいねー。すぐだよ。」

と言って帰っていった。
しばらくして、突然、カメおばーは肺炎で他界した。しかし、カメおばーの言葉は、今でも私の心に熱く残っている。何か決断するときは、いつもその言葉が甦る。
                 ◆

いろいろなことを、思い返しながら盛夏の島を後にした。

(2008.12. 那覇市医師会報掲載 又吉内科クリニック 又吉亮二)
盛夏の島
2009年04月21日 16:42
Posted by matayoshi
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